[ゆうせい荘]他人は後回し、自分の幸福が最優先

哲学
レッドウッド・ファカレワレワ・フォレスト - ロトルア - ニュージーランドの観光・旅行・ツアーといえばニュージーランドの歩き方

レッドウッドっていう進撃の巨人で言う「巨大樹の森」みたいな

すごい長く生きてきた樹がいっぱいある森を散歩していて、

すごい穏やかな気分になったんで、今回は僕がすごい重要にしている

『幸福』についての考え方を話します。

『幸福』についての考え方

どんな考え方っていうと、めちゃくちゃ簡単で

「まずは自分の幸福を最優先に考えろ」っていう哲学です。

この理由は結構シンプルで、

「自分が幸福になればなるほど、他人の幸福や他人を思いやる心」みたいな余裕が増えるんすよ。

だから正直、「左の頬を殴られたら右の頬を差し出せ」みたいなのって結構間違っているというか

僕は、無理じゃないの?って思ってて

精神的に余裕がないときって、そんなことできなくないすか?

例えば週5で10時間とか働いて、休み時間が全然無いみたいなときに、他人の事を思いやれる訳がないんですよね。

無理じゃないすか?そんなの

わずかな休みは、自分が楽しむ方法とか、完全に自分のことしか考えられないですよね。

でも、僕みたいに、とりあえずたくさん時間がある。

こんな雄大な自然に囲まれて散歩している。みたいなときって、すごい精神が穏やかで、精神的余裕がめちゃくちゃあるんですよね。

、こういったのが「心の余裕」ってやつですね。

これがあればあるほど、「他人のこと」「幸福のこと」「世界のこと」「自分のこと」とか、をよく考えられるようになるんすよ。

だからとりあえず自分のことを最優先に考えて、一旦自分が幸福になるように、ずっと追求し続ける。

というか、自分が幸福になるように追求し続けることこそが、他人を幸福にしたり、他人を思いやる道の一番なんじゃないのかな と僕は思います。

自分の幸福と宗教

「自分の幸福を全力で追求すべき!」って考え方は、今で言えば異端な考え方だと想うんすけど。

でも別に「異端だ!」とか言われるのは、今だけで

例えば、「目上の人を重んじなさい。礼儀を大切にしなさい。」みたいな考え方は、何千年も前に孔子が言った考え方で

「愛を持って接しなさい。優しくしなさい。」みたいな考え方は、キリスト教の考え方で

「仏様を信じて、南無阿弥陀仏って唱え続ければ極楽浄土へ行ける。」みたいな考え方は、大乗仏教の考え方です。

こういった考え方って、今の日本人にも結構根付いてると思います。

今言ったすべての考え方って全部、二千年ぐらい前に国民の99%が、ずっと飢えてて、本当に生きるのも必死でインターネットも無く、生まれてから得られる情報は周りの人が言ってることだけ。

交通機関も無い、飛行機も無い、違う島に行くなんてほとんどの人が人生で一回も経験できないような、そんな環境で生まれた考え方なんですよね。

だから別に、ここに上げた考え方を否定するつもりは一切ないんですけど、今の時代はこれと違う考え方があってもいいんじゃないの?とすごい思います。

ちなみに、戦後からずっと続いてきた日本の宗教は、

男の子は、「必死に勉強して良い会社に入って年収1000万を稼いで、車と家を買って、奥さんと子供を養うのが男の幸せ。」っていう考え方が、今の日本の男の宗教です。

女の子は、「とにかく条件の良い男、年収の良い男と結婚して子供を立派に育てること。」が幸せっていう宗教です。

女の子に関しては、この考え方ってだいぶ変わってきてますけど、まだ根強い考え方ですよね。

これも宗教ですよね。

別にそれが幸福の条件とかって何一つ証拠がないんで、

どっちかと言えば、戦後日本の権力者が人民にこういうような考え方を植え付けたら、国がうまく発展して得だから、こうやって考えさせたってことです。

人の生き方って結構権力者とか、国によって定められてきたんで、割と適当といえば適当なんですよね。

けど今は時代が違うから、個人が各々の幸福を全力で追求することを最優先にする。

これが一番重要だ。っていう考え方も存在して良い訳です。

おすすめの本

あと「哲学と宗教全史」っていう本がおすすめです。

いかに宗教が権力者によって利用されて来たか、みたいなのがすごい分かります。

とにかく自然は気持ち良いので、森で本でも読んでみませんか?

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